2012年08月05日

白い光の霊団 徐福日本移住の真実

白い光の霊団へのチャネリング
徐福日本移民 

チャネラー:  白光大阿闍梨 O 
ヒプノセラピスト:  サーシャ M 
 さには: アイアンマン

日:2012年8月3日 
場所:富士山近傍


 

M: 徐福について質問させていただきます。 徐福は日本の民族の祖先で神武天皇と関わりがありますか?

O:ない。徐福は徐福じゃ。

M:では徐福は始皇帝により、不老不死の薬を求めて 若者3000人をつれて日本に来ましたか?

O: 不老不死の薬を求めて出国したと伝えられておるが、わしは命をかけて3000のものとともに失敗を幾度も重ねて出国したのじゃ。 国をでたのじゃ。 厳し世の中だった。 国を出なければ殺される運命だった。 安らぎのある地を求めて 縁のあるエネルギーに導かれ出国したのじゃ。 ただただ一心に信心を行った。

M;では 何故日本を目指したのですか?

O: 先ほども申したが 縁のあるエネルギーに 魂に導かれ 火をふく山の そのふもとに 出国し 失敗に 失敗を重ねて しかし それでも出国しなければならなかった。 しかし 最後に出国することができた。 危ないところだった。 

M:では 出国してから 殿くらいの期間で目的地に着きましたか?

O: 多くの船が嵐に会い バラバラになった。 沈没した船もあった。 然し 最後まで望みを捨てることは我にはできなかった。 バラバラになってしまったものはたものはすべて わしの責任じゃ。 許してくれ。 はあ 許してくれ(涙)。 

M: 徐福とユダヤ人の関係を教えていただけますか?

O: そのように言われたものはいる。 私は 其の方を裏切ったのっじゃ。 目の鋭い 先を読む力があった方じゃ。 其の方をわしは欺いた。 怖かった。 然し わしはそれでも実行した。 その人こそ その人こそ 多くの人々を惨殺した「始皇帝」と言われた方じゃ。 其の方の一族は 紛れもなく 遠い国から来た方だった。

M: 遠い国とはどこですか?

O:イスラエルの地じゃ。

M: 徐福が日本に仏像を持ってきた理由を教えて頂けますか?

O: あの小さな仏像のことじゃな。 儂が若いとき天竺にいきいろいろな法を学んだ。 その帰り懐かしい仏像にあった。 それがその仏像のことじゃ。儂は日本に持ってきた。その当時でも その仏像は清らかな光を放っていた。 大事にしていた仏像だったがその後争いに巻き込まれ破壊された。 そして 今このとき そのエネルギーは 法隆寺の太子(聖徳太子像)様の胎内に入り秘仏として存在しておる。 しかし そのことは誰も知ることは無い。

M:その仏像はもともとどこから来たのですか?

O;儂が天竺からの帰り偶然に出会った仏像だったか そのエネルギーのもとは 過去生において縁のある仏像だった。 ただ小さな祠に鎮座していた仏像だったが 儂にははっきりとわかった。儂の過去生において大切な仏像であることが。 それで日本に持ってきたのじゃ。然しそのことは誰一人として知る者はいない。

M:その過去生とはいつの時代か教えて頂けますか?

O:あなた方もその仏像と類似している仏像をまれにみることがあろうかと思うが、その仏像のもとは 10万年前のものじゃ。 具体的に申すと 約10万年くらい前のものじゃ。 誤解の内容に申すが その仏像のことを申しているのではなく もともとの エネルギーのことを話していることを忘れないでほしい。 長い月日においては破壊されたり 地中に埋められたり 火に燃やされたり 歴史があるものじゃ。 その縁のあるもの達が 4500年ぐらい前に いまで申す中東の地で作られたものじゃ。それが 儂が持ってきた。 全て、全て 出会いだ。愛しきものに出会い それを我物にして それをわが地に持ってきて その エネルギーそのエネルギーが綿々と続き後世の物が太子様の胎内にいれた。然しそのことは誰一人知るものはいない。

M: 掌の玉は何を表しているのですか?

O:魂と言いたいところじゃが。 本当のところは、「光の根源」を表したものじゃ。「光の根源」を表しておる。しかし それを感じ取れるものはおらぬ。

M: この仏像は弥勒菩薩とは関係がありますか?

O:いや関係はない。 数々の仏像を崇拝しておったが その仏像の流れは先ほど申したこと ただそれだけじゃ。 全てが「縁」じゃ。「縁」とは、過去から 現在あり 未来にいたるまで 永遠に続くものなり。 ただ それだけじゃ。 縁のある者にとっては命よりも大切な時もあった。 救われたこともあった。 破壊されたこともあった。 争いに巻き込まれたこともあった。 その仏像ゆえに。 然し 私たちにとっては 非常に縁のある仏像だったゆえに いまでも我々はその仏像をまもっておる。

M: 徐福が来る前の日本にはアイヌ人と言われる人々が住んでいましたか?

O: 今で申す日本であるが その当時 住んでいる方も少なく 火をふく山も多くあり 水のふんふんあり。 緑の森も沢山あった。 穏やかな島だった。 しかし、一旦その島の中に入ると それはそれは危険な 人々といっていいのか? 野人って呼べばよいのか? 一族がおったことは思い出される。 

M:その人たちは純粋な日本人ですか?それとも大陸からやって来た他の民族ですか?

O: ああ、半島から来た人たちもあとで知った。然し 我々が初めてあった野人は 野蛮な者たちだった。 徐々にその島のことを知ることにより いろいろな種族が集団で暮らしていることが判った。時には戦い 時には略奪され 時には食料や豊富な知識を教えて頂いたこともあった。 とても危険な旅だった。 儂達が最初この島に流れ着いたとき最終的な地よりずっと下の所だった。
M;それは具体的にどこですか?
O:今その当時のことを思い出しどう伝えてよいのか儂も混乱しておる。 先ほどの申したが最終的目的地である火を吹く山を目指したところよりも ずっと 下の方だったことは覚えて居るが。 
M:そこは、今でいう九州にあたる場所ですか?
O:そう簡単に答えることができれば一番簡単なことである。だが、わしの意識はその当時の意識になっているゆえに 答えることができなかったが そのように答えればよいのか? 今の地を申せばよいのか? それならば そのようなことならばそれほど難しいことではない。 そのものの この肉体を持った者の知識を引き出して答えればいいのか?それならば聞いてくれ。答えよう。
M;教えて頂けますか?
O:それならば答えよう。 この者の思考を借りて話すのでよいならばそれで話そう。 
M:お願いします。
O: ああ、九州という地だった。然し 上陸はなかなかできなかった。 できなかったというよりもしなかった。 上陸すれば争いのもととなるゆえに。 食料や水は 我々が持ってきた。 大切なものと交換してもらうことができたが、極力は上陸はしなかった。 最初のころはこの島の出来事のことを考えていたが どのくらいの人が住んでいるのか一切わからなかったゆえに 舟の中で生活をしながら 火を噴く山を目指した。 時には争いに出会い、一部の人を死なせてしまったことも 儂の責任じゃ。
内乱も起きた。 この島に上陸し船の生活を嫌うものが出て その者達は我々と袂を分け この島の奥の方へ入ったものも いた。 その後 徐々に 船を火を噴く山を目指しながら 嵐のときは入り江に入り その時食料と水をもらう為に高価なものを渡し 我々は食料と水と果物を頂いた地で起きたことがある。 それは罠だった。 然し、戦いならば我々は自分を守るために如何なることもせねばならなかった。 島の者全員を殺してしまった。 我々はそれ以上の力を持つものが多くいた。 我々は鉄の刀を使った。 島の者たちは木で戦った。 木の棒で戦った。 勝てるわけがないのに鉄の刀を知らなかった。 その場を直ぐ離れ火を噴く山を目指し その入り江を離れた。長い旅だったが この島には鉄の刀がないのじゃ。 戦いを望んで来るものは石を投げ捨たり 木の棒を投げ込んだり木の棒を振り回して戦いに臨んだ。なんと無謀な野人なのかは儂には判らん。我々はほとほと疲れた。  それが あなた方がお聞きしているアイヌの方々かもしれぬ。確かに毛がモジャモジャと生えていたことは思い出すことができる。

M:その当時のアイヌの人たちに信仰はあったのですか?

O:最初は無かった。 なんと無謀な人々かと ほとほと疲れてしまったが 我々は自分を守るために相手を殺さなければならなかったが 仕方がないことだった。 そのような生活をしながらこの島に上陸しついてから火を噴く山につくまで 今でいう2-3年かかったかもしれぬ。 火を噴く山の姿を見たときは 我々の多くは涙を流しその入り江に入り 船でその地まで行こうとしたが 川底が浅く行くことができなかった。 その入り江に船を置き 歩いて火を噴く山を目指して歩いたが その時だった
その地の多くの人々が我々の所に来 我々の姿を見 戦いを望んできたが 儂は命をかけて その者達と話し合いをし 高価なものを差し上げ 和解することができた。 そして許されてその地に入ることができた。 それから我々は どんなことがあろうとも争いを避けるようにしたが 夜中に突然襲われたり それは 火の噴く山にたどり着くまでは 苦しい旅をせねばならなかった。 
然し その地に着いたとき 我々は 火の噴く山の人々に 今でも思い出すと 嬉しさと感謝の気持ちがわいてきてしまうほどの出会いがあった。 なぜならば 過去生においての古い友達が大勢いたのだった。彼らは 我々が来ることを心待ちにして知っていた。 許されて土地を分けてもらい 勿論我々もお礼に高価なものを差し上げながら 美しいところに住むことが許された。 約束された土地に来ることができた。 

M:その時の生活について具体的に教えて頂けますか?

O:その地の生活は今思っても 苦しい旅をしながら 約束された地に来ることができこのように歓迎されて その地にあった古代文字などを 私たちは中国の文字に書き換えることを許された、 これもすべて約束されていたからであった。 確かに約束された地もあった。 そこにたどり着くことができたが 出発するときは 3,000の人々がいたが この地に来たときは 500の人々だけになった。このことを 儂は悲しんだ。 すべて儂責任。  
然し 約束された地があり 儂はその地に着くことができ その地に伝わっておった 苔や石や木に記録された その地に記録された文字を中国の文字に変えることができ 儂が中心となり全てを中国の文字に変えた。 その文字は多く残っていたが一部は火に燃やされ一部しか残ってないのは事実であろう。その文字の内容は その地の長い出来事の記録であった。 その記録の内容は 儂は見て呆然とした。 なぜならば 中国の出来事と非常に似ていたからである。 一体 なぜ 中国とこの地と同じような記録が残っているのか 戸惑ったが ありもまま記録した。 

M:中国の出来事とは 具体的にどのような出来事ですか?
O:そのことは 中国の出来事の内容は 神々の出来事や 神々と人の記録が多く残っていたのに漠然とした。何故だろうと思った。 然し我々は 全てありのまま記録した。 人々の決まり事や 人々のもちものや 人々の食料や なぜそのような決まりごとが 日本のものと中国の古い記録が同じなのか判らなかったが しかし あるとき突然にわかった。 何故わかったのか? それは 人間が考えたことではなく 我々をこの地に導いた 偉大なる光が中国の古い記録として残っており この地にも残っていたということを儂は知ることができた。 似ているのではなく 同じだったのだ。 それに彼らは 私たちを暖かく迎えてくれたということも 食料や住むところも そして我々の持ってきた文化も 喜んで使ってくれたことも 全てみぎめらい 光によって満たされたのだと 知ることができた。 然しそのことを一部の者しか理解できなかった。 その自念仏は 儂が 今 この肉体を持ち声帯を借りている者が(織田氏)背負って持ってきたものじゃ(仏像)。 今思い出すと懐かしく言葉にならん。 お前はよく 頑張ってくれた。 儂の命の御使い後 儂の後を継いで 纏めてくれた。儂はこの若者に 儂はこの若者にお願いした。 儂の後継者として この者を選んだ。この者を選んだ。 仏像のことを知らせる為にすべての秘密にするために。 それが縁というものじゃ。 全て 全て 全手の過去は 今生きるためにあり 今生きておるのじゃ。 

M:徐福と白峰先生との関係は?
O:ああ 白峰氏は 徐福に 徐福の いまでいう 徐福の本体じゃ。 紛れもなく。 しかし彼の徐福は 多くの生命を持っていることは 彼も知っておる。 この声帯をかりて話しているものもその一部じゃ。分身じゃ。 分身と言っても数千体 数万体もあろう。 長い月日の中において。

posted by tamioblog at 18:14| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 2012年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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